いわいわねワイワイ(^^)/

フラメンコギタリストなのに最近はピアノばかり弾いてます(笑)

第342回 サビーカス5 会社員からプロへ

大きな挫折

大学では勉強や研究はほとんどせず、4年間ギターばかり弾き続けていました(笑)。大学に行かない日、講義に出席しない日はたくさんあっても、ギターを弾かない日はありませんでした。できることなら、フラメンコギターのプロになりたいと思っていました。

しかし、当時弾いていたのはソロ・ギターだけで、踊りや歌の伴奏経験はゼロでした。どのようにプロ活動をして良いか、情報の少ない時代、何もアイデアはありませんでした。早くから伴奏を覚えていたら、もっと早くプロになっていたかもしれないと思うと、ちょっと悔しいです。

仕方なく会社員を選びました。大学4年の2月に就職活動を始めるような…こんなバカは普通いません(笑)。

 

会社員時代

会社員になっても、フラメンコギターを好きな気持ちは忘れられず、毎日の通勤電車の中では、必ずフラメンコを聞いていました。出張の多い会社だったので、ギターはほとんど弾けませんでした。

会社員時代に月刊パセオを読んでいて、あたしが好きだったペペ・アビチェラがエル・フラメンコ(現・ガルロチ)に来るというので、目の色を変えて見に行きました。

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何故か半券状態になっていないという…(笑)。チケットを持って入口に向かったんですが、そのまま入れちゃったんです。とっても不思議でした(^^)/

ペペ・アビチェラのギターソロはもちろん素晴らしかったですが、それ以上に彼の伴奏が面白く、踊りと歌を楽しいと感じた初めての日でした。

伴奏を覚えたいな…と思えたこと、今思えばこの日が人生の分岐点でした。

 

大沢フラメンコアカデミー

とにかく踊りと歌の伴奏を覚えなきゃ…ということで、月刊パセオの教室紹介ページを見て、「踊り・歌・ギター」の看板を出していた、川口の大沢フラメンコアカデミーに伴奏を習いに行きました。

ギターレッスンは大沢憲三先生の個人レッスンのみで、個人レッスンを受けている生徒は、奥様・大沢リナ先生の踊り教室で”憲三先生の隣で、伴奏するのも自由”ということでした。

 

いわね「憲三先生、伴奏どうやって弾いていいかわからないんですけど…?」
先生 「ああ、踊り見て、自由に弾いて下さい」
いわね「じ・・・自由ってなんですか?(滝汗)」

 

”伴奏するのも自由”と聞いて、伴奏を習うのも自由だと思っていたんですが…、まさか”自由に伴奏して下さい”って言われるとは思わなかったです(笑)。

あたし、味も素っ気も色気も無い人生を送ってきました(何故か今も再びw)。女性の少ない会社で働き、休日は部屋に籠ってギターを弾くのみ…そんなあたしが踊りを見て自由に弾けって言われたって…。

 

目の前を見ると、レオタード姿の女性が、腰をくいっくいっと動かしていて…気付いてみると、目の前の腰に合わせて、自分の首がくいっくいっと動いてました(笑)。

 

「うーん、一体あたしゃ何をやってんだ?」と(笑)。

 

人生、不思議な経験をするもんだなぁ…なんて思ってましたが、この教室に入れたことは、実はとても幸運でした。他の伴奏教室に入ってマジメな指導を受けていたら、プロになれなかったからです。

 

伴奏の楽しさを覚える

憲三先生は、伴奏に関しては何も教えてくれませんでした(笑)。
しかし、”踊りを見て、こう弾くべき”という形を、強い音で常に弾いてくれていました。踊りの見方がわからなかったあたしは、仕方なく憲三先生の弾き方をコピーしたのです。

ソロ・ギターのコピーには慣れていたので、リズムの弾き方をとるだけならずっと簡単でした。踊りレッスンを伴奏するたびに録音して必ず何かを覚えて、次のレッスンに臨みました。

ある日、憲三先生と同じようにギターを弾きながら踊りを見ると、”自分が踊りと同じリズムを弾いている”ことに気付きました。

 

「これが伴奏なんだ!」

「一緒にやってて、なんか楽しい!」

 

あたしが大沢フラメンコアカデミーに在籍したのは1年未満でしたが、その短期間にほとんど全ての曲種を伴奏することができました。弾かなかったのは、ソレア・ポル・ブレリアとシギリージャとロンデーニャくらいですね。

”マジメな指導をしてくれる伴奏教室”では、1曲を1年かけて覚えます。フラメンコには数多くの曲種がありますから、1曲を1年ずつかけて覚えたのでは、10年以上かかってしまいます。

スペイン料理屋グレコ(今は閉店)やイベントでは、憲三先生の隣で本番経験を積ませていただきました。今でもとても感謝していますm(_ _)m

 

開かれたプロの道

日本のフラメンコ界は、一言で言って”踊り手過多”です。歌い手とギタリストが少ないことが幸いでした。そこそこ伴奏できる若者(当時はw)なら、あちこちの教室から声が掛かりました。

25歳の時、練習伴奏を1時間3000円で弾いてほしいという要望があり、はじめて自力でお金を稼ぐことができました。嬉しくて泣きました(T_T)。

今回はお話ししませんでしたが、大学入学前からの音楽に対する想いが、ようやく形になったと実感した瞬間でもありました。

これから少しずつでも、上を目指してがんばろうと…新たな決意を胸にしていました。