兄貴から連絡が来ました。夏以来ですね~。
普段連絡を取り合わない兄弟なので、連絡があると不幸でもあったんじゃないかと…ドキっとするんです。お義姉さんに何かあったかと思った…ごめん、お義姉さん(笑)。
昨年の夏、兄貴がこのブログに気付いて連絡をくれたことがありましたが、その後もずっと読んでくれてたそうです。ありがとーーー(^^)/
兄貴は「光秀と歴史」の記事が面白かったらしく(笑)、いろいろと興味を持ったそうです。んで、「本能寺サミット2020」がNHKで放送される…と教えてくれました。
これ確か、少し前にBSで放送されたヤツなんですよね。うちはBS見られないので、あきらめてました。せっかく教えてもらったので、見てみましたが…やはり、NHKの限界かなって思いました。こんな局だから、視聴料払う価値無いって思っちゃうんです。
あの場に何故、明智憲三郎氏を呼ばないのだああああ!一番呼ばなきゃいけない人なのに!
…いや、わかってますよ。憲三郎氏を呼んだら、サミットにならなくなっちゃいます(笑)。
他の歴史学者たちは多少の見解の相違がある程度で、だいたい似たようなことを言いますが、憲三郎氏だけは全く違う説を持っているから…ああいう場でみんなと仲良しサミットができるとは思えないです。
だから…NHKが憲三郎氏を呼ばなかったか、そうでなければ、憲三郎氏がNHKからのオファーを断ったか…そのどちらかなんです。
番組を見ても、やはり新しい発見はほとんどなかったなぁ…。朝倉一乗谷の資料館勤務の女性(名前覚えてない、ごめんです)の発見「光秀に医学の知識が豊富にあったこと」は知らなかった。そのくらいかな…。
非常にガッカリしたのは、四国説の確認がメインになってしまったこと。
怨恨説と野望説を紹介してから否定するのは、歴史学界の流れ通りだから、それを紹介したのは良いとして、四国説だけでは説明の付かないことがたくさんあります。
・本能寺の変の前に、信長や光秀が家康領内を視察していること
・本能寺の変の後、三河に戻った家康の行動
番組は、これらに全く触れていなかったです。もっと家康との関係について触れてほしかった。さらっと流された「臣君の伊賀越え」も、実は計画的だったことがわかっているので、そこに危機はなかったんだけどなぁ…。
最悪だったのは、本能寺の変の後に秀吉から細川藤孝に出された手紙の中にある「今回の件の、比類なき御覚悟に感謝」の解釈です。
光秀に味方をしなかったことに対する恩と解釈されていましたが、そんな武将はたくさんいます。何故、藤孝だけにそんな感謝をしたのか…それを完全に見落としています。
あたしは既に、憲三郎氏の説を既に紹介していました。
光秀と家康の同盟に立ち会った細川藤孝(ふじたか)が、秀吉に通じていた
秀吉は、本能寺の変が起こることを藤孝から知らされていて、周到に準備していた
藤孝によってもたらされた情報によって、秀吉は中国大返しの準備を整えることが出来て、天下をとるための道筋を整えることができたので、その感謝だった…と考えれば「比類なき御覚悟に対する感謝」として、これ以上に納得のいく話はないでしょう?
このように、知識を持って情報に接すると、話の矛盾を見落とさずに見破ることができます。
歴史学界という閉鎖社会は、憲三郎氏が言うように、周回遅れの議論を続けている場所だということが、よくわかる番組でした。
んでも、それが無駄とは思わないです。あの番組をキッカケにして、興味を持つ人が増えてくれれば嬉しいです(^^)/